マムシ流 つれづれ草 第90回
【心の中で四季の移ろいを感じ、穏やかに過ごすべし】
ジジイババア諸君、9月だな。9月だぜ。なのになんだこの暑さは。
以前もここで「四季」が「二季」になると書いたけど、四季の移ろいが日本の良さなのに、
日本の良さの消失が季節にまで及ぶんじゃ、嫌になっちゃうよな。
四季を味わう映像や写真、書物に触れて、せめて心の中だけでも四季の移ろいを感じて、さわやかに穏やかに過ごしたいもんだな。
8月の後半もいろんなところで戦争の話をしたな。「ミュージックプレゼント」は、オレと同世代の人と話をする機会が多いから特にそうなるな。8月最終週の「ミュージックプレゼント」は、お江戸は神田猿楽町の「冨多葉」という、創業108年という老舗のお蕎麦屋さんにお邪魔した。店は明治大学の脇にある男坂を下ったところにあるんだ。
2代目のオヤジ、冨山和夫さんは90歳で現役なんだよ。図々しいジジイだね、ハハハ。奥さんの美知子さん、息子の敏行さん、その嫁さんの裕子さんと家族で力を合わせて切り盛りしているいい店なんだ。
和夫さんは、本所生まれで、3月10日の空襲のときには学童疎開していたんだが、和夫さんとお父さんを残して、お母さんとお姉さんと弟が空襲で亡くなった。亡骸も不明だったので、遺品をお墓に入れたというんだ。悲しい話だよな。中継の時、空襲前日の3月9日にお姉さんから疎開先に届いたという葉書を見せてくれたんだ。これが形見になっちまったわけだよね。
今も、奥さんとともに被服廠跡の東京慰霊堂にお参りに行くそうだ。
息子も小さいときには連れていかれて、怖い思い出があると言ってたけど、戦争の悲惨さをきちんと知って、後世に伝えていくことは大切だからな。素晴らしいことだよ。
被服廠跡と言えば、102年前の大正12年9月1日の関東大震災でも火の海になり、約3万8000人の命が奪われ、約4万人の遺体が火葬された場所だったということも忘れてはならないぞ。
和夫さんは、明治大学法学部の夜間を出て、公務員になったが、その後、伯母さんの養子になってこの店を継いだんだ。そして今日まで変わらぬ味を家族みんなで守り続けているんだよ。
地域活動にも熱心で、地元・神田明神の警護団体「御防講」の一員でもあるんだ。いなせじゃねぇか。和夫さん、元気でいてくれよ。蕎麦と一緒で、のびちゃダメだぜ、ハハハ。
その前の週は、「えんがわ」のスタジオの方にお邪魔した。玉、惠理と話したよ。
台本はあるけど、オレが台本通りにしゃべるわけねぇだろ。散々、あっちこっちとラグビーボールが転がるようにくっちゃべったら時間が来ちまった、ハハハ。
そうそう、この日の「えんがわ」で、10月24日に開催する「マムちゃん寄席」の告知をしたぞ。昔のチラシを一枚一枚見ていくと、懐かしいねぇ。あっちへ行っちまった人は、永さんをはじめいっぱいいるよ。
ここでは詳しく説明しないが、オレのホームページにチラシが載ってるから、それを見てくれ。いつもの顔ぶれが並んでるぞ。
ところで、すごろく五郎ってぇのはオレも知らねぇんだ。おい、三太郎、誰だよ。
そうそう、終戦記念日の次の日は、長嶋茂雄さんの追悼試合もあったな。
負けちまって残念だったな。昭和34年の天覧試合の敵討ちをされたみてぇだ。
ジャイアンツの選手諸君は全員背番号3をつけて、始球式は松井秀喜、バッターは王貞治、原辰徳、キャッチャーは阿部慎之助、主審は高橋由伸と超豪華な布陣だったなあ。
そうそう、マウンドにボールをセットしたのは堀内恒夫だし、サードベースをセットしたのは中畑清だったしね。
しかし、試合は情けなかったねぇ〜。タイガース唯一の背番号3の大山に3回に打たれて、3対0で負けだよ。全部3並びっていうのが面白えけどな。長嶋さんのいたずらかもしれねぇな、ハハハ。
さて、9月の「マムちゃんねる」は、林家三平ちゃんの登場だ。爆笑王の先代のいろんなエピソードはもちろん、東京大空襲で家族6人を亡くされた、母上・香葉子さんの話などいろんな話を立て板に水でしゃべってくれたぞ。興味の尽きない話が満載だからな。じっくり見てくれよ。
(構成・伊波達也)